昨日は、寝込んだ。頭痛、不正出血。なんだってわかりやすいのだ。明るくなっても、昼になっても起きられずに、夕方やっとお風呂に入る。水ばかり飲む。少しだけものを食べ、生まれて初めて、薬を飲んで眠る。最近まわりで薬を飲んでいる人が多いので、ああそんなこともありだ、と思っただけ。
上の娘が「ママ、どうしたのさ」という。「頭痛」。「生理痛の薬、あげようか」「そんなもんじゃ効かないからいいよ」「えー、考えすぎ。またハゲナイようにねー」ときた。あたしは2度ほど円形脱毛したことがある。彼女のやさしさだと思う。至らないばかりの母だけど、あたしが大体どんなことになっているのか、いちばん直感しているのはこの娘である。いつもごめん、と思う。
なんとか睡眠をとったので、しごとに出かけた。やることが山のようにあるので救われる。でも、一日分しかやる気力がないので7時ぐらいには退勤する。家に帰るのもつらくて、ダイニング・カフェでシャルドネを飲んでいた。涙が流れた。店のお兄さんは変だと思っていただろうね。でも、家で泣くわけにもいかないし。
今となってはつながらなくなった人の携帯番号を消した。でも、伝言メモは消すことができなかった。この声を何度、どんな気持ちで聞いてきただろう。。。でももうやめなければ。
一度別れて、自分のことを深く内省した後に4年たって、二度目に出逢った人だった。支えだった。大人だった。それでも柔らかい心と体が好きだった。愚痴を言うとたしなめられることが多かった。「そんなふうに決め付けないほうがいいよー。先のことはわからないでしょ。いろんなことがありうるでしょ」。緻密に物事を組み立てていくのにどこかで天に任せている、人を信じている、コントロールしない、そんな感受性が大好きだった。
それから1年。距離をとりたい人なのだと思って、それでもあたしは今度ばかりは相手を理解したいと思って、逢えない歳月に考えた分努力もしたし、気が合っているつもりだった。負担になりたくない、でもどうしようもなく好きだ、そのシーソーだった。出口はなく孤独だった。「気をつけて帰ってね」と別れ際に言われるのがいつもこたえた。自分で選んでいることだからしかたないし、行けるところまで行くのだと思った。そしてこうなった。
自由でありたいということ、家庭は束縛であったということ、そんなあなたと、話すことも、空気をともにすることも楽しかった。生きているかいがあった。
あなたに何があったのか、あたしにはわからないし、それはそちらのことなのでしょう。
ふだんプラス思考をベースに生きているので、マイナスの感情が自分の中をぐるぐる回りするのはつらいです。こんなときは、仕事に精を出しましょう、と思います。でも、ひとりになると、とめどなくいろんなことを思い出してしまいます。悦びの時間の数々。それがかなしいです。
あたしはやっぱり愛と性はセットでほしいと思う旧世代なのかもしれません。好きな人に抱かれたいし、好きな人を食べたい、そう思います。あなたはそうではなかったのかな。あたしはあなたの慰めだった? かわいい、充電、とよく言っていたね。でもあたしにとってあなたは酸素だったから、充填、「て」と「で」の違いだった?
愛は好きな人からはもらえないのかもしれない。いろんななかまからもらうほうがいいのかもしれない。かぞくにだって、具合の悪いときは救われる。それも愛だろう。いいとこ取りでもうしわけないとは思うけれども。それでも、あたしは、それ以上に、生きている強い悦びを求めてしまう性質なのだ。やっかいです。
この2年ほど、順風満帆過ぎたから、「気をつけろ」「いい気になるな」という天の声、なのかもしれません。人は泉の水なんか汲まなくたって、水道水を飲んだって生きるんですから。
もうこの先、人を好きになることはあるんだろうかと思います。
上の娘が「ママ、どうしたのさ」という。「頭痛」。「生理痛の薬、あげようか」「そんなもんじゃ効かないからいいよ」「えー、考えすぎ。またハゲナイようにねー」ときた。あたしは2度ほど円形脱毛したことがある。彼女のやさしさだと思う。至らないばかりの母だけど、あたしが大体どんなことになっているのか、いちばん直感しているのはこの娘である。いつもごめん、と思う。
なんとか睡眠をとったので、しごとに出かけた。やることが山のようにあるので救われる。でも、一日分しかやる気力がないので7時ぐらいには退勤する。家に帰るのもつらくて、ダイニング・カフェでシャルドネを飲んでいた。涙が流れた。店のお兄さんは変だと思っていただろうね。でも、家で泣くわけにもいかないし。
今となってはつながらなくなった人の携帯番号を消した。でも、伝言メモは消すことができなかった。この声を何度、どんな気持ちで聞いてきただろう。。。でももうやめなければ。
一度別れて、自分のことを深く内省した後に4年たって、二度目に出逢った人だった。支えだった。大人だった。それでも柔らかい心と体が好きだった。愚痴を言うとたしなめられることが多かった。「そんなふうに決め付けないほうがいいよー。先のことはわからないでしょ。いろんなことがありうるでしょ」。緻密に物事を組み立てていくのにどこかで天に任せている、人を信じている、コントロールしない、そんな感受性が大好きだった。
それから1年。距離をとりたい人なのだと思って、それでもあたしは今度ばかりは相手を理解したいと思って、逢えない歳月に考えた分努力もしたし、気が合っているつもりだった。負担になりたくない、でもどうしようもなく好きだ、そのシーソーだった。出口はなく孤独だった。「気をつけて帰ってね」と別れ際に言われるのがいつもこたえた。自分で選んでいることだからしかたないし、行けるところまで行くのだと思った。そしてこうなった。
自由でありたいということ、家庭は束縛であったということ、そんなあなたと、話すことも、空気をともにすることも楽しかった。生きているかいがあった。
あなたに何があったのか、あたしにはわからないし、それはそちらのことなのでしょう。
ふだんプラス思考をベースに生きているので、マイナスの感情が自分の中をぐるぐる回りするのはつらいです。こんなときは、仕事に精を出しましょう、と思います。でも、ひとりになると、とめどなくいろんなことを思い出してしまいます。悦びの時間の数々。それがかなしいです。
あたしはやっぱり愛と性はセットでほしいと思う旧世代なのかもしれません。好きな人に抱かれたいし、好きな人を食べたい、そう思います。あなたはそうではなかったのかな。あたしはあなたの慰めだった? かわいい、充電、とよく言っていたね。でもあたしにとってあなたは酸素だったから、充填、「て」と「で」の違いだった?
愛は好きな人からはもらえないのかもしれない。いろんななかまからもらうほうがいいのかもしれない。かぞくにだって、具合の悪いときは救われる。それも愛だろう。いいとこ取りでもうしわけないとは思うけれども。それでも、あたしは、それ以上に、生きている強い悦びを求めてしまう性質なのだ。やっかいです。
この2年ほど、順風満帆過ぎたから、「気をつけろ」「いい気になるな」という天の声、なのかもしれません。人は泉の水なんか汲まなくたって、水道水を飲んだって生きるんですから。
もうこの先、人を好きになることはあるんだろうかと思います。
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