私は箒にのって毎夜出かけたい。
煙のように髪をなびかせながら
山の瀬を跳び越えたい。
私は彼の叱咤をわらひながら
きらめく月光の中へ飛んでゆきたい。
(「女のうたへる」より部分 永瀬清子)
昔の女の人は底知れぬ孤独の中で、田畑を耕したり、子を育てたり、詩や歌を書いたりしていたのだろう。想像を絶する世界である。
あたしはとうに毎夜出かけている。だけれども、依然として山の瀬は立ちはだかっている、この現実。
「魔女の宅急便」でキキが箒にのる練習をするところが好きだった。
町を歩いていると、ゲド戦記の歌のメロディが聞こえる。
「ネコの森」の谷山浩子さん、がんばっていたんだね、と思った。
煙のように髪をなびかせながら
山の瀬を跳び越えたい。
私は彼の叱咤をわらひながら
きらめく月光の中へ飛んでゆきたい。
(「女のうたへる」より部分 永瀬清子)
昔の女の人は底知れぬ孤独の中で、田畑を耕したり、子を育てたり、詩や歌を書いたりしていたのだろう。想像を絶する世界である。
あたしはとうに毎夜出かけている。だけれども、依然として山の瀬は立ちはだかっている、この現実。
「魔女の宅急便」でキキが箒にのる練習をするところが好きだった。
町を歩いていると、ゲド戦記の歌のメロディが聞こえる。
「ネコの森」の谷山浩子さん、がんばっていたんだね、と思った。
風は自分の意志で好きな所へ吹くのでなく
風は虚のある所へ吹いていきます
西側の窓が開いていなければ
東風は入りません
風は虚を埋めるエネルギーです
そこへひきつけられる流れです
(後略)
永瀬清子詩集『春になればうぐいすと同じに』より
図書館の詩集のコーナーで探し物をしていて、この詩に出会った。ああ、そうだったのか、と合点した。
あたしが、風になりたい、その理由。。。
そんなことを思いながらいつもの店で飲んでいて、
隣に座ったオトコが、高校が同じだったという理由だけでなれなれしくしてきた。。。携帯番号も教えてしまったあたしの不覚。ああ、どうしよう。
風は虚のある所へ吹いていきます
西側の窓が開いていなければ
東風は入りません
風は虚を埋めるエネルギーです
そこへひきつけられる流れです
(後略)
永瀬清子詩集『春になればうぐいすと同じに』より
図書館の詩集のコーナーで探し物をしていて、この詩に出会った。ああ、そうだったのか、と合点した。
あたしが、風になりたい、その理由。。。
そんなことを思いながらいつもの店で飲んでいて、
隣に座ったオトコが、高校が同じだったという理由だけでなれなれしくしてきた。。。携帯番号も教えてしまったあたしの不覚。ああ、どうしよう。
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
15年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
15年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
Aフラワーマーケットに若い男の子たちが行列している風景。帰りがけに見て、驚いてしまった。なんかまめだねー、この子たち。。。若くてきれいと思ったせいか? 久しぶりに一回り以上年下の、心の恋人を「どうしているかしら」と思い出した。悩みや相談があるときしか最近はメールこない、んではありますが。だから元気ということでしょうね。
花屋を横目で通り過ぎ、書店に入る。
で、平積みの入り口コーナーを見ていたら「追悼・茨木のり子」と書いてある! なんですってー。知らなかった。うわーん。
2/19に亡くなったなんて。不覚。でもしかたないか。あたし、臥せっていたから。べつに新聞読まなくても生きてるほうだし。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と書いて逝ってしまったんですね。ユーモラスで、わかりやすくて、ちょっと学級委員の女の子みたいではあったけど、大好きでした。しょっく・・・1年前は「現代詩手帖・石垣りん追悼集」を買ってしみじみしたばかりなのに、今度は茨木のり子さん。遅ればせながら、女性詩人の先行くしごとの大きさを思います。みんな、きっぷのいい人たちです。こまごまとした日常をていねいにやりくりしながら、大胆に批評精神あふれる詩を書いていた。生きるために。
生きるために表現せずにはいられない。
表現などしなくても、人は働いて生きる。
そのことのはざまを、言葉にしようとした人たちが亡くなっていく。
ご冥福をお祈りします。茨木のり子さん。
花屋を横目で通り過ぎ、書店に入る。
で、平積みの入り口コーナーを見ていたら「追悼・茨木のり子」と書いてある! なんですってー。知らなかった。うわーん。
2/19に亡くなったなんて。不覚。でもしかたないか。あたし、臥せっていたから。べつに新聞読まなくても生きてるほうだし。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と書いて逝ってしまったんですね。ユーモラスで、わかりやすくて、ちょっと学級委員の女の子みたいではあったけど、大好きでした。しょっく・・・1年前は「現代詩手帖・石垣りん追悼集」を買ってしみじみしたばかりなのに、今度は茨木のり子さん。遅ればせながら、女性詩人の先行くしごとの大きさを思います。みんな、きっぷのいい人たちです。こまごまとした日常をていねいにやりくりしながら、大胆に批評精神あふれる詩を書いていた。生きるために。
生きるために表現せずにはいられない。
表現などしなくても、人は働いて生きる。
そのことのはざまを、言葉にしようとした人たちが亡くなっていく。
ご冥福をお祈りします。茨木のり子さん。
「創造の創が『きず』だということは意外に知られていないようです。創造らしい創造をする精神は、そのいとなみに先立って、なんらかの傷を負っているのではないか」と
ひとりの詩人が書いているのを読んだとき
わたしはふいに 自分の心が
きずだらけなのを感じて 本をとじた
きずはからだじゅうで口をあけ
血を流していた
それが何のきずなのか
いつ受けたものなのか
さだかにはわからないまま・・・
わたしもまた
自らの手できずを癒そうとしてきた一人だ
きずを癒そうとして 詩をつくった
かたくなでごつごつした詩をつくった
しかしきずは癒されたのか
きずに手をつっこんで
かきまわす
拡大鏡を入れて 拡大する
薬のつもりで
毒を注ぎこむ
わたしがしてきたのは
そんなことだ
二度目にその言葉を読んだとき
わたしは自分の皮膚が
とげのように盛り上がっているのを感じた
わたしのからだは 針ねずみのように
すきまなく固い皮膚によって蔽われていた
このとげが わたしのきずなのか
きずの癒された姿なのか
わたしの心の 柔らかい肉は
どこへいったのか
・・・きずはついに癒されなかった
と考えるほかはない
ただ創ることを通して
きずはわたしを変容させたのだ
名づけようもない姿に
(高良留美子『風の夜』より)
★レイさんへ
秘密日記を読んでいたら、この詩を思い出しました。けっこう好きで。硬派の詩人ですが。
きずはないほうがいい、と人は思うでしょう。あたしも思っていた。でも、ひょっとしたら、きずは資源なのかもしれない、といまは思う。いろんな人に出逢って。変容して生きのびてきた人が好きです。敬意をもっています。
野菜の種を買って育てる話、すてきですね。そんなふうにていねいに野菜も愛も育てていけたらほんとに幸せだね。
ひとりの詩人が書いているのを読んだとき
わたしはふいに 自分の心が
きずだらけなのを感じて 本をとじた
きずはからだじゅうで口をあけ
血を流していた
それが何のきずなのか
いつ受けたものなのか
さだかにはわからないまま・・・
わたしもまた
自らの手できずを癒そうとしてきた一人だ
きずを癒そうとして 詩をつくった
かたくなでごつごつした詩をつくった
しかしきずは癒されたのか
きずに手をつっこんで
かきまわす
拡大鏡を入れて 拡大する
薬のつもりで
毒を注ぎこむ
わたしがしてきたのは
そんなことだ
二度目にその言葉を読んだとき
わたしは自分の皮膚が
とげのように盛り上がっているのを感じた
わたしのからだは 針ねずみのように
すきまなく固い皮膚によって蔽われていた
このとげが わたしのきずなのか
きずの癒された姿なのか
わたしの心の 柔らかい肉は
どこへいったのか
・・・きずはついに癒されなかった
と考えるほかはない
ただ創ることを通して
きずはわたしを変容させたのだ
名づけようもない姿に
(高良留美子『風の夜』より)
★レイさんへ
秘密日記を読んでいたら、この詩を思い出しました。けっこう好きで。硬派の詩人ですが。
きずはないほうがいい、と人は思うでしょう。あたしも思っていた。でも、ひょっとしたら、きずは資源なのかもしれない、といまは思う。いろんな人に出逢って。変容して生きのびてきた人が好きです。敬意をもっています。
野菜の種を買って育てる話、すてきですね。そんなふうにていねいに野菜も愛も育てていけたらほんとに幸せだね。