をみた。深津えりさんに興味があったけど、それより妻夫木、好演していた。
売れ筋の原作読んでいないので、どこがどうなのかわからないが
・音楽がよかった
・静謐な時間が流れる瞬間、カメラワークが冴えていた
・ラストシーンが深かった
・にんげんの孤独の闇が迫ってきた、孤独になる権利?も思い出した
・にんげんにたいするリアルな描写は原作のものなのか、在日コリアンの監督のものなのか、興味深い

どなたか、ごらんになりましたか。
いろいろ考えさせられましてん。

東南角部屋二階の女
という若い女性のつくった映画をみた。
まったりとしていて、心の機微が繊細でなごみました。
(レビューは苦手ゆえ、たいへんごめんなさい)

衝撃はエンドロールでやってきた。
香川京子だったんだー。わけあって、戦後の古い作品をこのところ観ている。
ほとんど主役をはっている女優さん。50年以上はたっているよ。
すごい。のイチゴに尽きる。そんなにおばあさんでもない。
恐れ入りました。この人に会いたいと思った。

今朝は起きられなかった。
会社に行かねば、と思ったらおなかが痛くなってきた。子どもみたい。。。
しかたないので半日休む。そしたらちょーし戻ってきた。

それでも金欠なので銀行に寄った。
ありがたいことに、ボーナス支給日なのでした。ありがたや。
いつまでも、もらえるものでもなさそうだ。

「エディット・ピアフ」、前売りまで買ったのにですよ。
ひどいー。長いー。つくったの、だれよー。
怒!!

たとえ歌うたいの女の人が人生でやさぐれていることがあったにせよ、掘り下げてリスペクトしなくてよく創れるね。人にお金を出してみてもらうものじゃないじゃんー。
人間はいろんな弱さ、至らなさ、傲慢さ、などなどをも持っているものだと思う。けれど、その生身をどう描くか、作り手のリアルなまなざしが出てしまうのが作品なのだと思う。
おそろしいことです。
久々に「愛がほしいよー」とたとえ無意味であっても劇場であたしは叫びたかった。

ミリキタニの猫

2007年9月17日 映画
ミリキタニの猫
映画館は満員だった。プロモーションが成功しているんだろう。明るい色彩と、まるで啓蒙チックでない作り方がよかった。
でも、前半がんこに日系人収容の米国の非人道に怒って毎日狂気のように路上で絵を描きながらぶつぶつ演説していた人と、最後こぎれいになって社会的な居場所を得、老人ホームで絵を教えたりしている愛すべき好々爺とが同じ人物であるとは思えなかった。
アメリカ人の若い女性監督とその猫と棲んで心をやわらかくしていく愛の物語として観る人も多いだろう。(性愛ではない)
でも、それってどうなのかな、とあまのじゃくとしてあたしは思うのだった。狂気のままに人知れず死んでゆくアーティスト。
そういう生き方に憧れさえする。生きているうちに人に認められるなんて、いうことは稀有なことで。ミリキタニが「ふん! 商業アートのやつめ」と吐き捨てるようにいうシーンがいい。
それでも、全体的に過剰でないのがいい。

「歓楽通り」

2007年9月2日 映画
「歓楽通り」
秋風が立ったらアンニュイな映画がみたくなってビデオ屋へ。
前から気になっていたルコント監督の「歓楽通り」というのを借りる。1945年ぐらいのフランスの娼館の話だから、古い作品とばかり思ったら2002年の作品と知って驚いた。レトロに切なくて、よかったです。
かなしくてもあったかい気持ちが残るのは、娼婦の女の人たちがすさんでなくて、大らかにつややかに生きて助け合っているように描かれているからではないかと思う。ルコントの女性観がなせるわざかとも思う。
「歓びを歌にのせて」
深夜にDVDで2004年スウェーデンでつくられたこの映画を観た。ひとりひとりが表現を通して自分の心のふたをあけていく物語。胸のうちが洗われて、またいろいろ思いついてしまった。
赤い薔薇ソースの伝説
という美しく官能的な映画を夜中に観た。
抑圧された恋を料理に込める、エロティックな物語。
食べるという行為はエロなのであった。ラストに抑圧がはずされていくシーンをみて、ふるえた。
からだのなかに潮が満ちてきた。

あたしもがんばるよう。
行ってきました。見てきました。
よかったですう。まったり感とフィンランドの空気の透明さと、血縁がひとりも登場しない他人同士で、じわーとあたたまるテイストが。。。なんといっても世の中のテンポとずれている感じが、とても自分にフィットしてしまいました。ちょっと流れる時間が沖縄の映画に似ていたかな。(「ナビイの恋」とかよかったものねー。)
最近はやりのワークライフ・バランスなんてことも考えてしまいましたよ。うちの職場にも、10年前はこういう雰囲気ありました! ってなつかしくなったわー。お客さんといろいろ人生のよもやまばなしもして、記念写真撮ったげたりもして。いっしょにため息ついたり笑ったりもして。いまでは考えられないスピードで、職場は戦場のように動いとりますが。
終始まったりとふるまっている小林聡美が魅力的で、あるとき「変わらないものなんてない。人は変わっていく」って決然と言うところが、あー、たまらなく好きでした。
変わらないものなんてない。そのとーり。

蛇足ながら主人公は合気道をやっているんですが、からだの中心に気を入れてー、って夜になると気合を自分で入れているところも好きでした。原理はわたしのやっている声のレッスンとおんなじです。やっぱりからだづくりは大切だわっ。からだをきたえにゃあ。それでこそ、まったりもできるというものだと確信。

あたしはよく「あなたってなんでそんなにまったりしているの?」って言われます。どんなに必死でさくさくずんずん仕事をしていても、ですよ。人間の本質は変わらないのだと思います。どんな状況においても。

「好きなことをしごとにできるっていいですねー」と言われて主人公はこうも言っていた。「べつに好きなことっていうより、いやなことをしてないっていうだけです」と。仕事はいやなこともかなりありますね。これ、すごいです。自分で決めれば、あんな暮らしもできるのかな。あこがれました。もう一度、見ようかしら。

夜は職場向上委員会(勝手に名づけた)の集会があり、いろんな課題を討議しなければならなかったのです。が、なかなかそのモードに入れず、おまけに現実はたいへん複雑な状況になっているものだからよけいに話はまとまらず、難儀でした。
全体はどうしたらうまくいくか、なんて考えることはやめて、かもめ食堂的に暮らしたーい、とここでまた思った1日でした。
レンタル開始まもない「愛についてのキンゼイ・レポート」を見た。なんと飽くなき熱意でヒトの性行動を研究したヒトがいたことか、と感銘。変人扱いされながら。規範の間で悩みながら。
この人の妻もタイヘンであった。
みんなが規範から自由になったら(かなりなっているけど)、世の中どうなるのでしょう。住みよくなるか、それともつらい世界になるのか。いいとこどりはできないわけで、孤独はもっと深まるのかもしれませんが。それでもいいから、自由になりたいほうですけれども。
最後のほうで、シニア女性が「女の人に恋をした私は長い間うっくつしてきたけれど、あなたの研究のおかげで、自分は一人じゃないんだとわかって楽しく暮らしています」とかたるのが印象的だった。それから、森の中の大きな木々の中でのラストシーンもすてきでした。性の研究は進んでも、愛については科学では解明できない、という苦しさがなんとなくわかった。
わからないことは追わないことにできれば、どんなに平穏なことだろう。。。

桜ウツ

2006年4月2日 映画
ゆうべ借りてきた「東京タワー」をいまごろみていた。岡田君、きれいだから好き。でもなあ、リアリティが圧倒的に不足。原作はどうなんだろう、と江国香織ファンとしては思ってしまった。
一番リアルだったのは人妻のキミコさんが「あたしはここに存在しているんだからね」って迫力でフラメンコの舞台を踊るシーンだった。あれはよかった。主婦って言うのも21世紀は死語になっていくのでは、と思うけど。すごくお金のある一部の人しか専業主婦ってもうなれないでしょ。
黒木瞳もいい女優さんだけど、なんで仕事全部捨ててまでパリに行くのよ、どうやって生活するのよ、なんて思ったら楽しめないよねー、あたしも。とほほ。

恋なんて愛なんてなくたって生きていくんだから。
そう思っても、今日はうつ。本当は行くべきところがあったのにゴメンナサイメールしてふけてしまう。力が出ないときにむりして出かけても、ろくなことはない。でも一抹の心苦しさ。。。

去年の今日は友だちの朗読会を聴きに行った帰りにワインを持参し、夜桜をいっしょに見ていた。港のみえる公園にみごとな枝振りの桜があって、その下で口づけした。
あとから「先日のあの木は中野重治がこよなく愛した木だったそうです」(なんとかの桜といううんちくがついていたが忘れてもうた)とメールがきたのだった。
記憶がセピアでないカラーで生々しく、一枚一枚たちあらわれてきて、苦しい。

失いたくないものをもつということはこわいことなのだ。
私は安定するとすべてぶち壊したくなるリスキーな性質。
でも自分で壊すのと去られるのは全然違う。もうたくさんなんですけど。

「コーラス」

2006年3月22日 映画
珍しく早々に帰宅して、最近のフランス映画「コーラス」をDVDで観る。子どもたちの歌声に涙、、、涙腺ゆるんでいるせいか。シンプルすぎるストーリーではないかとも思うが、そんなことはなんのその。「なんで泣いてるのよー」と下の娘にも言われてしまう。歌というキーワードに弱いのだ。
一昨年の秋に二回も映画館に見に行った「ピエロの赤い鼻」もそうだった。楽器コンサルティーナのつむぐ可憐な歌に、あたしも弾きたいと思ってネットで調べたほど。
音楽が、歌が人を励ましたり、人の心の穴ぼこを満たすということ。いやというほど、わが身につまされているので。生まれ変わったら歌姫になりたい。生きているうちにはちょっと無理だから。。。

好きな人に、あたしの作った歌を何度か聴かせた。耳元で。。
「逢わない日々には歌ができる」といったら「売れたら5パーセントもらおうかな」といっていた。けっきょくコンサートには来てくれなかったけど。売るためにつくっているのではないから、そんな日は来ないだろう。でも、私の歌を聴いて涙してくれる人々もいる。いいんだ。喜んでくれる人が聴いてくれるなら、道端だって、どこでだって、歌いたいよ。
歌は私にとって、生きるチカラだから。

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