「創造の創が『きず』だということは意外に知られていないようです。創造らしい創造をする精神は、そのいとなみに先立って、なんらかの傷を負っているのではないか」と
ひとりの詩人が書いているのを読んだとき
わたしはふいに 自分の心が
きずだらけなのを感じて 本をとじた
きずはからだじゅうで口をあけ
血を流していた
それが何のきずなのか
いつ受けたものなのか
さだかにはわからないまま・・・
わたしもまた
自らの手できずを癒そうとしてきた一人だ
きずを癒そうとして 詩をつくった
かたくなでごつごつした詩をつくった
しかしきずは癒されたのか
きずに手をつっこんで
かきまわす
拡大鏡を入れて 拡大する
薬のつもりで
毒を注ぎこむ
わたしがしてきたのは
そんなことだ
二度目にその言葉を読んだとき
わたしは自分の皮膚が
とげのように盛り上がっているのを感じた
わたしのからだは 針ねずみのように
すきまなく固い皮膚によって蔽われていた
このとげが わたしのきずなのか
きずの癒された姿なのか
わたしの心の 柔らかい肉は
どこへいったのか
・・・きずはついに癒されなかった
と考えるほかはない
ただ創ることを通して
きずはわたしを変容させたのだ
名づけようもない姿に
(高良留美子『風の夜』より)
★レイさんへ
秘密日記を読んでいたら、この詩を思い出しました。けっこう好きで。硬派の詩人ですが。
きずはないほうがいい、と人は思うでしょう。あたしも思っていた。でも、ひょっとしたら、きずは資源なのかもしれない、といまは思う。いろんな人に出逢って。変容して生きのびてきた人が好きです。敬意をもっています。
野菜の種を買って育てる話、すてきですね。そんなふうにていねいに野菜も愛も育てていけたらほんとに幸せだね。
ひとりの詩人が書いているのを読んだとき
わたしはふいに 自分の心が
きずだらけなのを感じて 本をとじた
きずはからだじゅうで口をあけ
血を流していた
それが何のきずなのか
いつ受けたものなのか
さだかにはわからないまま・・・
わたしもまた
自らの手できずを癒そうとしてきた一人だ
きずを癒そうとして 詩をつくった
かたくなでごつごつした詩をつくった
しかしきずは癒されたのか
きずに手をつっこんで
かきまわす
拡大鏡を入れて 拡大する
薬のつもりで
毒を注ぎこむ
わたしがしてきたのは
そんなことだ
二度目にその言葉を読んだとき
わたしは自分の皮膚が
とげのように盛り上がっているのを感じた
わたしのからだは 針ねずみのように
すきまなく固い皮膚によって蔽われていた
このとげが わたしのきずなのか
きずの癒された姿なのか
わたしの心の 柔らかい肉は
どこへいったのか
・・・きずはついに癒されなかった
と考えるほかはない
ただ創ることを通して
きずはわたしを変容させたのだ
名づけようもない姿に
(高良留美子『風の夜』より)
★レイさんへ
秘密日記を読んでいたら、この詩を思い出しました。けっこう好きで。硬派の詩人ですが。
きずはないほうがいい、と人は思うでしょう。あたしも思っていた。でも、ひょっとしたら、きずは資源なのかもしれない、といまは思う。いろんな人に出逢って。変容して生きのびてきた人が好きです。敬意をもっています。
野菜の種を買って育てる話、すてきですね。そんなふうにていねいに野菜も愛も育てていけたらほんとに幸せだね。
コメント
「きず」、何て心に響く詩なのでしょう。高良留美子さんというお方ですか。初めて知りました。ぜひ読んでみたいと思いました。私も、傷ついたその時はなぜこんな目に、って、これは絶対自分の身に起きた事じゃない、全部忘れちゃいたい、って思ってましたけど、でも今は、「私だから神様は試練を与えたのかも。乗り越えられるでしょ、あなたなら。」って言われてるのかな。って少しずつだけど思えるのです。
ある人に、「この世には、経験して悪いことって、何もないんだよ。絶対糧になるんだから。」
って言われたことがあって、本当にそうなんだなって思います。
本当、ていねいに人と関わって、愛を育てていけたら本当に本当に素敵です。
コメントありがとうございました。
あたしも恋のきずができなけりゃこの日記を始めることもなかっただろうし、そしたらこんな見知らぬおもしろそうな人たちと知り合うこともなかっただろうし、けっこう幸せかも、って思っていますよー。春よ、来い!