去年の暮れに、大好きな女友達のアーティストがメールをくれた。それが縁で、若い人たちのやっているいっぷう変わった演劇プロジェクトにボランティア参加。こんなにへこむことになるとは思っていなかったので、年明けに2回ほどミーティングに参加したが、あたしは人間がすごく好きなわりには本当に人に慣れるのには時間がかかるタイプなので、けっこう緊張して疲れたりもした。それで今月は慣れない人々に逢えるような精神状態ではないので、抜けていた。
今日久々に出かけてみた。身体障害を持つ男性が介助者がいなくて参加できないとメーリングリストでいうので、とても魅力のあるその人の役に立てたらという名分があったのと、今日のトピックが性同一性障害の人の自分語りということもあって、惹かれた。
男とか女とかの境界線をこえて、自分と家族と世間の間で闘いながら生きてきた彼(もと女性)の語りはせつなかった。孤独な魂。「言葉で語れるものには限界がある」というのもそうだな、と思った。でも、なりたい自分になっていくんだ、という意思にすてき、とため息。男として女を愛したいが、勃起するものをもっていないかなしみ、というくだりはあたしにはよくわからなかったけど、、、リアルだった。自分のセクシュアリティについて考えることができた。
あたしは女である自分に違和感をもったことはあまりない。ヘテロ。でも、日常では男のようにふるまっているときもある。そして、けっこう女性的な男を好きになるふしがあると思った。女性的というのは、すごくお世話好きとか、ああでもないこうでもないと考えるとか、女性の悲しみを深く理解し親和的とか、人によって違いはあるにせよ。

車椅子の彼を押して、美しい枝垂桜の下でプチ花見をした。
ゆうべ、送るとしたらと手紙の文面を考えていたら悲しみがだんだん怒りになってきた(人より怒りがやってくる速度がいつもすごく遅いので仕事場でも自分であきれることが多いのだけれど)。それがまた悲しみを深くして、眠れなかった。
そんなときに観る、流れる桜は目にしみた。

コメント

サイダ
2006年3月27日2:16

絶対に内緒にして下さいね(笑
僕はつい最近、たまたま同性の友達に好きだと告白をしました。僕の日記もようく読めば、そんな描写があります。僕は、バイのようです。
性差って、何なのでしょうね。僕の性自認は男性ですけど、相手が女性を愛する人であるならば、僕は別に女性でも良かった。僕にとっての性なんて、血液型や星座と同じ、その程度のものです。

すいれん
やよ坊
2006年3月27日22:26

サイダさん、そうなんですね。自由でいいです。。。男とか女とか、社会的につくられた制約にとらわれずに生きていかれたらいいよね、本当に。自分の境界線をゆっくりと少しずつ旅して行ければと思います。

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