泣いた
2006年10月10日「ストロベリーショートケイクス」を娘と見た。
あたしにはちよっと苦しい2時間だった。いやな感じではないのだが、、、描かれている世界は実によくわかるのだが、、、もう少しカタルシスがほしい。希望が、ほしい。そう思った。
主人公と同世代の若者たちはこれをどう観るんだろうか。
現実はもっときびしいような気がするし、リアルをなぞられるだけでは悲鳴を上げたくなるし。
連休最終日の繁華街はおそろしく込んでいて、人のいないところに行きたいと思って、定点観測のYT公園に足を向ける。
「よかったら散歩しない?」とメールしたら、まもなくやってきた。その人の顔をみると、ほんとにほっとする。
夜は、彼のなかまのミーティングにそれとなく出て、
若いアーティストの女性と知り合い、楽しく話しているとあたしのきらいな団塊世代のおじさんがやってきて、いろいろ偉そうにしゃべくるので、お先にと退散した。気分が悪くなって帰ろうと歩いていたら「ちょっと待って」とその人が追いかけてくるので、待っていた。
思い返すとこれまでのいろんなことが、たおれていったなかまや歴史上のことごとが思い出された。いろんな犠牲や営みの上に私たちの今というものはあるのに、そういうことがすっぽりと忘れ去られて、死んでいった人たちのこともなかったことのように偉そうに語るやつがいるのはほんとに胸くそが悪いのだ。
考えていたらいつになく思いが深まってしまって、泣いていた。
いろんなことがあったなあ。
それを自分もずいぶん忘れ去って、のうのうと生きているんじゃないだろうか。そう思うとかなしくて、さめざめした。
泣いていてもその人がわけがわかって、なお見守ってくれるのが、うれしかった。
同じ時代を生きてきた人でも、感覚を共有していない人は多い。
でも、なぜかその人とは初めから同志のような感覚だ。
れんげちゃんのことを思い出して、
「好きな人ぐらい食べさせてやる、っていう友だちがいるんだよ」といった。「あたしにはそんなきっぷのよさはないけどね。食べさせるって、ご飯いっしょに食べるぐらいはいいよ。としをとったらいっしょに住む?」「いつのことだろ。でもいいね」だって。
あたしにはちよっと苦しい2時間だった。いやな感じではないのだが、、、描かれている世界は実によくわかるのだが、、、もう少しカタルシスがほしい。希望が、ほしい。そう思った。
主人公と同世代の若者たちはこれをどう観るんだろうか。
現実はもっときびしいような気がするし、リアルをなぞられるだけでは悲鳴を上げたくなるし。
連休最終日の繁華街はおそろしく込んでいて、人のいないところに行きたいと思って、定点観測のYT公園に足を向ける。
「よかったら散歩しない?」とメールしたら、まもなくやってきた。その人の顔をみると、ほんとにほっとする。
夜は、彼のなかまのミーティングにそれとなく出て、
若いアーティストの女性と知り合い、楽しく話しているとあたしのきらいな団塊世代のおじさんがやってきて、いろいろ偉そうにしゃべくるので、お先にと退散した。気分が悪くなって帰ろうと歩いていたら「ちょっと待って」とその人が追いかけてくるので、待っていた。
思い返すとこれまでのいろんなことが、たおれていったなかまや歴史上のことごとが思い出された。いろんな犠牲や営みの上に私たちの今というものはあるのに、そういうことがすっぽりと忘れ去られて、死んでいった人たちのこともなかったことのように偉そうに語るやつがいるのはほんとに胸くそが悪いのだ。
考えていたらいつになく思いが深まってしまって、泣いていた。
いろんなことがあったなあ。
それを自分もずいぶん忘れ去って、のうのうと生きているんじゃないだろうか。そう思うとかなしくて、さめざめした。
泣いていてもその人がわけがわかって、なお見守ってくれるのが、うれしかった。
同じ時代を生きてきた人でも、感覚を共有していない人は多い。
でも、なぜかその人とは初めから同志のような感覚だ。
れんげちゃんのことを思い出して、
「好きな人ぐらい食べさせてやる、っていう友だちがいるんだよ」といった。「あたしにはそんなきっぷのよさはないけどね。食べさせるって、ご飯いっしょに食べるぐらいはいいよ。としをとったらいっしょに住む?」「いつのことだろ。でもいいね」だって。
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