ぱでぃさんの日記を読んで、「好きな人をずっと好きでいられる生き方」について考えたくなった。そろそろそういう生き方をしたいものだ、っていうのにちよっと共感したのかもしれない。ずっとできないできた人間として。
で、いきなり具体で悪いけど、いっしょに住んだらだめだと思う。夫婦というのは好きとかそういうこととはどうも次元が違うと思う。だいたい約束しなくても、意志をもたなくても帰ったらだらーっとしているだろう(自分もいるわけで)という段階で緊張感がなくなるし、自分と相手との境界線がどうしても引きにくくなる。
あたしはやっぱり、同じ方角に向かっていて、いろんななかまの中で、いっしょにわいわいがやがや仕事や活動をしながら、明日をともにつくり、信頼しあい、相談しあい、いっしょにとりとめもなくしゃべったり、うだうだしたり、愛し合ったりもできる、そんなのが理想だなぁ。それにはある柱は共有していたとしても、やっぱりお互い違う世界も持っていないと、なんでもいっしょは苦しいような気がする。
その人とそういうふうになりたい。それは自然になれるわけではなくて、共有する価値へ向けてこういうプロジェクトをこういう設計図で組もうよ、という青写真が必要で、その後も調整や水遣りや努力が必要だと思う。それは家庭を維持する努力よりは、仕事を継続する努力に近いかもしれないと思う。でもそこにエロスという機動力があるとどう違うか、実験するだけの価値はある。なんて変なことを考えるものだね、まったく。
それぐらい、好きな人を好きでありつづけるのはあたしにとって努力がいることなのだろう。ほどよい緊張感をもちつづけるには、身内だけど他人で、知悉しているけれど礼儀を尽くす、まだ知らないことがいつになってもある、みたいなのでないと。。。
そういうふうにありたいなぁ。ほんとうに。
そういえばどんな食べ物を好きか、あんまり知らないなぁ、ビールはギネスが好きなのは知っているけど(元彼と同じなんでちよっと胸痛い)。あー、旅行にでも行きたいなぁ。お魚が好きと言っていたような気がする。
ここであたしは急に現実的になる。
いっしょに何ごとかをなすには残り時間あと20年。たぶん。
20年はあると考えるか、20年しかないと思うか。あたしはふつうに考えたら前者だけれど、あと5年はわりときちんと働きながら母親業もしなくちゃならないだろう。時間が足りない、と急に思う。それなら何の時間を削れるかといったら、あたしの場合睡眠は削れないので、働く時間を削るしかないのではなかろうか。それを考えたら、あたし、転機に立っているのかもしれない。
声のレッスンに行って、近くのA記念公園に寄る。
都立中央図書館の前の大銀杏の散り具合を確かめに行ったのだ。
去年はらはらはらはらと散るのが無声映画のようであんまり見事だったので、今年もたとえいっしょにみる人はいなくとも見たいと思っている。日当たりが悪いのか、まだ緑色であった。お近くの方がいらしたら、12/10ごろたぶん見ごろと思います。本当に美しい映像美です。おすすめします。
で、いきなり具体で悪いけど、いっしょに住んだらだめだと思う。夫婦というのは好きとかそういうこととはどうも次元が違うと思う。だいたい約束しなくても、意志をもたなくても帰ったらだらーっとしているだろう(自分もいるわけで)という段階で緊張感がなくなるし、自分と相手との境界線がどうしても引きにくくなる。
あたしはやっぱり、同じ方角に向かっていて、いろんななかまの中で、いっしょにわいわいがやがや仕事や活動をしながら、明日をともにつくり、信頼しあい、相談しあい、いっしょにとりとめもなくしゃべったり、うだうだしたり、愛し合ったりもできる、そんなのが理想だなぁ。それにはある柱は共有していたとしても、やっぱりお互い違う世界も持っていないと、なんでもいっしょは苦しいような気がする。
その人とそういうふうになりたい。それは自然になれるわけではなくて、共有する価値へ向けてこういうプロジェクトをこういう設計図で組もうよ、という青写真が必要で、その後も調整や水遣りや努力が必要だと思う。それは家庭を維持する努力よりは、仕事を継続する努力に近いかもしれないと思う。でもそこにエロスという機動力があるとどう違うか、実験するだけの価値はある。なんて変なことを考えるものだね、まったく。
それぐらい、好きな人を好きでありつづけるのはあたしにとって努力がいることなのだろう。ほどよい緊張感をもちつづけるには、身内だけど他人で、知悉しているけれど礼儀を尽くす、まだ知らないことがいつになってもある、みたいなのでないと。。。
そういうふうにありたいなぁ。ほんとうに。
そういえばどんな食べ物を好きか、あんまり知らないなぁ、ビールはギネスが好きなのは知っているけど(元彼と同じなんでちよっと胸痛い)。あー、旅行にでも行きたいなぁ。お魚が好きと言っていたような気がする。
ここであたしは急に現実的になる。
いっしょに何ごとかをなすには残り時間あと20年。たぶん。
20年はあると考えるか、20年しかないと思うか。あたしはふつうに考えたら前者だけれど、あと5年はわりときちんと働きながら母親業もしなくちゃならないだろう。時間が足りない、と急に思う。それなら何の時間を削れるかといったら、あたしの場合睡眠は削れないので、働く時間を削るしかないのではなかろうか。それを考えたら、あたし、転機に立っているのかもしれない。
声のレッスンに行って、近くのA記念公園に寄る。
都立中央図書館の前の大銀杏の散り具合を確かめに行ったのだ。
去年はらはらはらはらと散るのが無声映画のようであんまり見事だったので、今年もたとえいっしょにみる人はいなくとも見たいと思っている。日当たりが悪いのか、まだ緑色であった。お近くの方がいらしたら、12/10ごろたぶん見ごろと思います。本当に美しい映像美です。おすすめします。
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