職場のキャビネットの整理をしていたら、5年前に自分が企画した場の記録テープが出てきた。大半はばっさばっさと捨てていくファイルやテープに混じっていたそれを反射的に、とっておくほうの数少ない分類に入れた。
ある虐待体験をした女性が自助グループをつくり、試行錯誤してきたなかでみたものを語っていた。なつかしくなってちょっときいたので、鮮明に思い出した。声の調子、間合い、年上の女性だけど、少女のようだった。その語りは、音楽のようだった。傷を負ったところから、美しいものは生まれてくるのだと思った。

あの時期、何年か、あたしはその種の仕事に没頭していた。人の語りを聴く場をつくる仕事とでもいうか。。。1対1で聴くのはカウンセラーだけれども、そうではなくて、みんなでリスペクトをもって聴く場をどうつくるか、そんなに余裕はなかったのだけれども、自分が大いに揺るがされ、迷いや悩みだらけだったけれども、楽しかった。たくさんの出逢いがあり、それらはいまでも、自分の生きる礎になっている。
人の発する声や空気を感じるのが好きだし、そういう息遣いを感じあえる、お互いを聴きあえる場をつくりたい。表現することを通して。これから自分がやっていきたいことはそういうこと。
必要なことはいくつかあるだろうが、もっとも必要なことは世の中のあちこちに、「安全な場」を花が咲いては散るように、つくりだしていくことなのではないか。

だからセンパイたちがそれをどうつくってきたかを、まず聴きたいと思い、メールしたらすぐに返信来ていた。「なんて偶然でしょう。わたしもそんなことを考えていました。よもやまばなしをしましょうね」と。
響きあう歌のようだ。もはや偶然ではないような。

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