失うかもしれないということ
2007年6月3日きのうは一日中走り回る仕事。で、退勤後、熱烈に誘ってくれる友人男子と大衆居酒屋へ。あんまりコールくるもんだから、何か相談事でもあるのかと思ったらそーでもなく。最近の仕事の話、子どもの話、妻の話、もよくするやつだ。で、学生時代のこととか思い出して、こっちが「もう一軒行こうよ」て思う頃、「じゃあこのへんで」とかいうやつ。でもま、暮れに飲んだときに酔っ払って書いてあげたあたしのうたを「好きでときどきギターで弾いてる」とかいうので大いに許す。まったくねぇ、へんなやつなのはあ、た、し。
疲れていたせいか、たった4杯ぐらいで酔っ払い、そのひとにコールする。メッセージ入れる。
今朝起きたら8時半だった。まだ酔いがからだに残っていた。今日は休肝日にしよう。
気持ちのいい日曜日。ふとんを干して、出かけて、今度のイベントで使えるような出物はないかしらと立ち寄ったユーズドショップで白いワンピースを買った。
かぞくが出払って、ひとりで広いリビングでごろごろと本を読むしあわせ。
川上弘美の『真鶴』を読み終えたら、「失う」ということのリアリティに捕まり、思い出し、やられた。いつか失うかもしれないということ。恐れていること。
距離を詰められたら、失う方向にいくことがある。それでいま、ふしぎな安定はあるのかもしれないと思った。親密な人であっても、あるからこそ人との距離は重要だ。
いまいっしょに暮らしている人々はこの世で縁があったのだろう。でも、いつか解体するだろうな。このユニットは。自然にそう思う。
そのひととは、離れているけど、いつもいっしょにいる。ずっと昔からの濃ゆい知り合いのよう。そう、みんなに言われる。話さなくても、感覚がわかる。これはだいじなポイントと考えることがいっしょなのだ。面白い、美しい、と思うことが似通っていて。物事はプロセスがだいじだ、と思っていて。
「この先もいっしょにいよう」という。ああ、いっしょにいると思っているのだな。でも、いつか失ってしまうかもしれない。こわい。先のことはわからないのだ。そう思ってときどきぎゅっと手をにぎる。夢の中で。リアルで。
そのひとといっしょに夢とリアルをいったりきたりしている。いつまでこれはつづくだろう。
疲れていたせいか、たった4杯ぐらいで酔っ払い、そのひとにコールする。メッセージ入れる。
今朝起きたら8時半だった。まだ酔いがからだに残っていた。今日は休肝日にしよう。
気持ちのいい日曜日。ふとんを干して、出かけて、今度のイベントで使えるような出物はないかしらと立ち寄ったユーズドショップで白いワンピースを買った。
かぞくが出払って、ひとりで広いリビングでごろごろと本を読むしあわせ。
川上弘美の『真鶴』を読み終えたら、「失う」ということのリアリティに捕まり、思い出し、やられた。いつか失うかもしれないということ。恐れていること。
距離を詰められたら、失う方向にいくことがある。それでいま、ふしぎな安定はあるのかもしれないと思った。親密な人であっても、あるからこそ人との距離は重要だ。
いまいっしょに暮らしている人々はこの世で縁があったのだろう。でも、いつか解体するだろうな。このユニットは。自然にそう思う。
そのひととは、離れているけど、いつもいっしょにいる。ずっと昔からの濃ゆい知り合いのよう。そう、みんなに言われる。話さなくても、感覚がわかる。これはだいじなポイントと考えることがいっしょなのだ。面白い、美しい、と思うことが似通っていて。物事はプロセスがだいじだ、と思っていて。
「この先もいっしょにいよう」という。ああ、いっしょにいると思っているのだな。でも、いつか失ってしまうかもしれない。こわい。先のことはわからないのだ。そう思ってときどきぎゅっと手をにぎる。夢の中で。リアルで。
そのひとといっしょに夢とリアルをいったりきたりしている。いつまでこれはつづくだろう。
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