Hさんがこの世にいないということがいまだに信じられない。
ぼーっとする時間があると、そのことを考えてしまう。
お見舞いに行っていたら自分はどうだったろうか、
昔のことを思い出すだけでどうしようもないではないか、
それでもそばで念じるだけでなにかの力にはなれなかったか、
いっしょに過ごしていたときこんなことあんなことがあった
苦しい時代だった
がんこな人だった
やさしい人だった

そんなあれこれあれこれ

すごい辛口の手紙を3年前にもらった
私のそのときやっていたことに関してだった
いまとなっては形見のようだ
「あなたは前に出すぎではないのか
もっと立ちどまったらどうですか」みたいな

そのときあたしは
もうあたしのことなんか何も知らないくせに
なにいっちゃってるんだろうと思った
でも、みていてくれたのはうれしかった
こわかった
びっくりした

あのひとだったらなんていうだろう と
そのときも思っていたのかもしれない
おとこにたいして
そんなふうに ずっと父にたいして
もっていた思いをかぶせてしまう
くせはいまでも払拭できたとは思わない

いろんなものをくれたひとにたいして
なにもできずに
うばうことしかしてこなかったのではないかと
おもうと

あたしは生きていて
そのひとはなくなって

コメント

れんげ
れんげ
2007年11月1日21:25

与えきったときに、人は死ぬんだと思います。
だから、奪っているうちは生きているんだと。
世の中はみんな何かを奪い合って生きてるから。
早く与えられるようになりたいです。

すいれん
やよ坊
2007年11月2日7:51

ありがと。いつも。

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索