今日は休みであったが。
ちょっと偽装ハハであった。
長女とプチまったりし、レッスンに行き、下の子どもの授業参観に行き、ああ学校の先生もたいへんねぇと思い、かえってご飯など作って、それから活動へ。
プロフェッショナルな方々が多くてたいへん刺激される。
今日も知らない女性と帰ってきたが、なんと映画制作をしているひとり社長の方であった。企画書渡され、「読んで見てください」といわれる。
うーん。「家族の絆」とか、もう死語なんでは、と思ってしまう。
もはやそーゆーこと、おんなのひとは必ずしも欲していないのでは。

それより、週末の間に合ってない仕事のために、資料作りをして関係者とメールでやりとりする。それほどずれていないので、ほっとする。
職場では考える仕事ができない。お客さんに対応して、いろんなふりかかってくることにお答えしているうちに夕方になってしまう。それだけならいいが、どんどん意味のない雑用が増えて、繰り返す仕事が増えてくると、歯車の部品である自分を感じる。
あたしはいまたまたまそんな部品のような仕事は少なくて済んでいるけど、それは自分がしなくてもほかのだれかが身をすり減らしてやってくれているからにほかならない。

たとえば、週に半分ここで働かせてもらって、あと半分本当にやりたいことに移行していけたらいいな。と妄想したらとてもすっきりした。そんなことを主張するにもタイミングはかったり、がんばらなくちゃだけど。。。

コメント

れんげ
れんげ
2008年2月29日23:55

絆って、昔は今私たちが思い描くようなキレイな意味では無かったのだとこのあいだ聞きました。
昔の意味を掘り起こしたら「家族の絆」と言う意味ももっと深くなるかも。
ま、その社長さんの使っている意味がどちらに当てはまるのかはわかりませんが。

すいれん
やよ坊
2008年3月1日7:29

え、昔はどういう意味だったの? 桎梏みたいな? 人とのきずなっていうのはけっこう好きなんですけどね。
それは人々はよい意味として、ノスタルジアもこめて使うのだと思います。

れんげ
れんげ
2008年3月2日23:58

自由を束縛するものとか、足枷とか。そんな感じもあったらしいです。
美しいつながり、ってかんじではないですよね。

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