傾く日

2008年4月25日 日常
昨夜。
雨の中、ぷらいべーとプロジェクトの会合。

まったくプロジェクトメンバーのおんなの人たちってば、すごい。圧倒されっばなす。
しごとでもないのに、さくさくと進めていく、ネゴする、快活に場をまわしていく、みんなに配慮する、どれもあたしに不足気味。
であるうえに最近ちから出ないもんだから、あたし、ますますぼーっとして「役立たない人」感、孤立感、自分で強めてく。
あー、人はこうやって自分自身から疎外されていくのかしらん。

なんだか疲れて、さみしくなってしまったので、とっとと帰る。

有能な人たちというのはおそろしく健康であると思ふ。
愛されて育っているのかな。
人との距離が正しいと思ふ。
でも、そんな資源を持っていない人たちのことをあまりわからないのかもしれない、とも思ふ。

自分も、具合のいいときはかなり病的に過剰に健康なほうだが、
やりすぎるのでじきに具合悪くなる。
あー、よくわからなくなってきたので、もう寝ます。
よーするに、具合悪いほうにカラダが傾く、ってそれだけ。

最近、貧困問題の論客の本を読んでいて、5重の排除ということが書かれていた。
教育機会からの排除、家族という機能からの排除、公的扶助からの排除、友人関係などの関係性機能からの排除、そしてラストのきわめつけは「自分自身からの排除」であった。
自分が悪いのだと思い、自分をあきらめ、世の中になんて期待できないと思い、なにも期待しまいと思い、ただ生きている。

自分自身をふりかえると、それなりの教育機会も、しごとも、カゾクも、友人やさまざまなネットワークも得てきた。
それでも、最近ちからをどんどん流出するいっぽうなのは、自分自身との一体感が持てないから。
そのことを考えると、暗い。自分自身から浮いてるという状態は、こわい。暴力を受け続けているみたいに、ちから奪われていく。カラダ、いつのまにか傾けて固定する。

にんげんには「ため池」のような「ため」が必要なのだとその本の著者はいう。
あたしの「ため」はけっきょく、しごと、しごとなかま、すきなこと、すきなことなかま、いえという空間、こども、この日記、行きつけの居酒屋、そして行きつけのあのひとの部屋、だったりするのかな、と思ったら
ぐるぐるぐるぐる
はてしなくまわってトラのバターになってしまいそうで、
そうやって生きている、生きているしかない
あたしってなんだろう。

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